はい皆さんようこそ。私はご案内役の戦うカエラー。でも風貌はマッタリ気味。

ここでは私と1+2匹のニホンアマガエルとの5年間に渉る愛への刻鏤をおもむくままに書き殴ったノンフィクション・ラヴ・ストーリーをお見せしましょう。




私はおしなべて生き物には目がない方であるが、特に蛙が好きっという訳ではなかった。そう、ある年の夏、炎天下の水溜まりに干涸らびそうなオタマを見なければ、家中がカエルモノで埋まるほどのカエラーにならずに済んだかも知れない。

ちょっとした助け心でそのオタマを掬って帰り、洗面器に移した。オタマなんぞ何を食するか全く知らない私は、ほうれん草とゆで卵を極たまに、極僅かしか与えなかった。しかもほとんど気に留めなかったので、ある日突然蛙に変身していた時には少なからず驚いた。しかし、やはり栄養不足だったらしく足腰の弱そうな蛙だったので(水換えをしないと成長が止まります)、私は随分反省してその日から彼の身の周りお世話係を決意したのであった。

彼の名はまんま「かえるさん」といった。かえるさんは白子だった。黒っぽい色はあったが、青っぽい色が欠落しているようだった。

(蛙の色素細胞は皮膚の深いところに顆粒状に散らばって収縮・膨張により体色を変化させていますが、深い順に黒色色素細胞・グアニン細胞・黄色色素細胞の3種しかなく、青の色素はありません。蛙があざやかな緑色に見えるのはグアニン細胞で反射され黄色の色素細胞通過時に白色光の青の部分が吸収されるからだそうで、ちなみにグアニン細胞ってのは銀色に輝くのだそです。・・・ということはかえるさんは白子とはいえないのかな。)

葉っぱの上では彼は必死に黒っぽくなって目立ちながら隠れていた。自然界ではアルビノは(捕食者に見つかりやすいという意味で)弱者だが、彼は当然そんなことはお構いなしだった。彼の食欲は日に日に増し、小さなクモなら1日に30匹くらいは食べるようになっていた。
その頃私は団地住まいだったので、1階から屋上まで階段の隅を手当たり次第に竹竿でつついてはクモを拿捕し、ビニル袋に1匹ずつ入れ持ち帰り彼に与えた。さらに休日は公園をハシゴし、0.5−1cmほどの虫を探した。獲れない時はサシを釣具屋で購入、そのままでは消化されないので(弊害もあるのでサシのままで与えては絶対だめです)ハエに成り立てを与え、エビを茹でて細かくしたものやイトミミズなどはつま楊枝で口の端から押し込むようにして食べて貰った。
(こういう場合は体調を見ながらにしてください。蛙のストレスになるようなら無理に食べさせないほうが無難です)

いつしか私の頭頂は彼の寝床となり、ウンチの時は髪の毛を梯子にして肩づたいに降り、そのままタンスの裏などに逃亡し、私が鳴き真似をして探すと、それに応え鳴きながら埃まるけになって戻ってきた。
夜は私の枕の上で朝までぐっすり寝た。微動だにしないその寝姿にある朝私は、自分の頭で踏みつぶして殺してしまったかと思うくらいだった。呼びかけても、揺さぶっても、足を持ってひっくり返しても、びくともしなかった。それは蛙が時折見せる「死んだふり」だったのだろう。そんなこととはつゆ知らず、私は罪の意識に打ちひしがれ、泣きながら花屋でクソ高い胡蝶蘭とカトレアを霊前に供えるべく購入し、帰ってティッシュでぐるぐる巻きにしてあった彼の亡骸を一目と思い、恐る恐るはぎ取ると、「この扱いはなんぢゃワレェ」と云わんばかりに、ジロッと睨んで彼は座っていた。

冬場、本来なら冬眠ということになるのだが、温度や湿度を最適に保つことができない為、ずっと起きててもらうことにした。
彼は足温器の上で寝るのが好きだった。しかもテッシュまでも好きになっていて、ぐるぐる巻きのティッシュの中で寝るのが至福のようだった
(足温器直接では絶対にいけません。足温器の上に厚いタオル等を折り重ねて置いてその上にプラケースを乗せ、その中に入れるのがいいでしょう)。

さすがの彼も冬場はあまり食が進まないらしく、1日数匹の食事をとった。
アマガエルは水気がないところでも平気なのだが、皮膚が乾いてしまうといけないので、プラケースには水場をつくって、全体を少し暖めて湿度を保つようにした。
(二酸化炭素の排出は主に皮膚で行われるので、皮膚は常に粘液で覆われ湿っていないといけません。かといってケース内が蒸れるほどにしてはダメ)

彼は4日に1回程脱皮した。脱いだ皮は食った。うまそうだったが私は見るだけにした。しかし彼を舐めてはみた。味はなかった(アマガエルは毒があるので舐めるのはやめましょう)。
彼のウンチは食べ物によって特徴があった。イトミミズは時々外皮が、クモやハエは足などが未消化で出た。エビの茹でたのは消化していたが、下痢気味なのと臭いがきついのできっとお腹にはあまりよくないのだろう。水っぽいものは避けた方が良さそうである。

3年目の初夏、カエルパトロールをしているときに出会った「チビ」が仲間になった。
(カエルパトロールとは、夜特に雨の日にカエルが道路に出てきて車に挽き潰されるのを防ぐため、道路を見回ってカエルを発見し、たんぼや川に連れ戻すキリのない作業を云う)
チビも雄、音楽好きで、かえるさんともうまくやっているようだ。

4年目の春、ドアを開けると玄関前に痩せこけた小さなカエルがこちらを向いて座っていた。
こいつは後に腹が20倍もの大きさになった雌の「柏餅権兵衛」である。
食べることが趣味。かえるさんにもチビにも興味はないらしい。

1つのプラケースでは狭いので、割り箸で骨組みをしアクリルで覆い(接着剤は一切使用せず)、50cm立方・2階建ての家を造った。
真ん中に観葉植物を置き、1階にプール・2階に風呂場、チビ用に2階にスピーカーを設置。梯子で上り下りができるようにした。
(梯子の下りは得意ではないらしく壁を這って降りておりました)。

彼らは自由に楽しんでいるようだった。かえるさんはチビと木登りに興じた時期もあったが、半年もするとすっかりジジイっぽくなって寝てばかりいた。チビはテレビが好きで、スピーカーの前に陣取って見入っていた。権兵衛は食べていた。どうかするとかえるさんの足も時々かじっていた。3匹になって私はエサの調達にやっきになっていた。1日中が食事の世話で後はおざなりだった自分にふと気がついた。久しぶりにかえるさんを連れ出し頭の上に載せてみた。かえるさんは髪の毛を掴んだりして居心地を試していたが、そのうち昔と変わらず頭の上で眠ってしまった。頼りなげだった小さな命が、試行錯誤してきた私からの試練を乗り越え、どっしり根を生やした生命体の蛙になっているのを感じた。顎の下で指を組み、お祈りをするような格好で寝る蛙の姿は、私の無知やいたらなさ全てを悟り許す愛情を示しているかのようだった。
私は次の日3匹を連れてドライブに行った。それぞれ寝たり、食ったりしていたが、山あいに沈んでいく夕陽を受けた時、3匹は背伸びをして沈むまで太陽を見ていた。

それから暫くしてかえるさんは逝ってしまった。そして、権兵衛も。またチビも後を追うようにして逝った。1+2つの命が私から離れていった。多くのことを教えて貰い、いっぱい愛を見せて貰った3つの命だった。今年もかえるさん達の思い出とともにもうすぐ蛙の季節がやってくる。(4月吉日)





   
在りし日のかえるさんとチビ



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