私はおしなべて生き物には目がない方であるが、特に蛙が好きっという訳ではなかった。そう、ある年の夏、炎天下の水溜まりに干涸らびそうなオタマを見なければ、家中がカエルモノで埋まるほどのカエラーにならずに済んだかも知れない。 ちょっとした助け心でそのオタマを掬って帰り、洗面器に移した。オタマなんぞ何を食するか全く知らない私は、ほうれん草とゆで卵を極たまに、極僅かしか与えなかった。しかもほとんど気に留めなかったので、ある日突然蛙に変身していた時には少なからず驚いた。しかし、やはり栄養不足だったらしく足腰の弱そうな蛙だったので(水換えをしないと成長が止まります)、私は随分反省してその日から彼の身の周りお世話係を決意したのであった。 彼の名はまんま「かえるさん」といった。かえるさんは白子だった。黒っぽい色はあったが、青っぽい色が欠落しているようだった。 (蛙の色素細胞は皮膚の深いところに顆粒状に散らばって収縮・膨張により体色を変化させていますが、深い順に黒色色素細胞・グアニン細胞・黄色色素細胞の3種しかなく、青の色素はありません。蛙があざやかな緑色に見えるのはグアニン細胞で反射され黄色の色素細胞通過時に白色光の青の部分が吸収されるからだそうで、ちなみにグアニン細胞ってのは銀色に輝くのだそです。・・・ということはかえるさんは白子とはいえないのかな。) 葉っぱの上では彼は必死に黒っぽくなって目立ちながら隠れていた。自然界ではアルビノは(捕食者に見つかりやすいという意味で)弱者だが、彼は当然そんなことはお構いなしだった。彼の食欲は日に日に増し、小さなクモなら1日に30匹くらいは食べるようになっていた。 いつしか私の頭頂は彼の寝床となり、ウンチの時は髪の毛を梯子にして肩づたいに降り、そのままタンスの裏などに逃亡し、私が鳴き真似をして探すと、それに応え鳴きながら埃まるけになって戻ってきた。 冬場、本来なら冬眠ということになるのだが、温度や湿度を最適に保つことができない為、ずっと起きててもらうことにした。 さすがの彼も冬場はあまり食が進まないらしく、1日数匹の食事をとった。 彼は4日に1回程脱皮した。脱いだ皮は食った。うまそうだったが私は見るだけにした。しかし彼を舐めてはみた。味はなかった(アマガエルは毒があるので舐めるのはやめましょう)。 3年目の初夏、カエルパトロールをしているときに出会った「チビ」が仲間になった。 4年目の春、ドアを開けると玄関前に痩せこけた小さなカエルがこちらを向いて座っていた。 1つのプラケースでは狭いので、割り箸で骨組みをしアクリルで覆い(接着剤は一切使用せず)、50cm立方・2階建ての家を造った。 彼らは自由に楽しんでいるようだった。かえるさんはチビと木登りに興じた時期もあったが、半年もするとすっかりジジイっぽくなって寝てばかりいた。チビはテレビが好きで、スピーカーの前に陣取って見入っていた。権兵衛は食べていた。どうかするとかえるさんの足も時々かじっていた。3匹になって私はエサの調達にやっきになっていた。1日中が食事の世話で後はおざなりだった自分にふと気がついた。久しぶりにかえるさんを連れ出し頭の上に載せてみた。かえるさんは髪の毛を掴んだりして居心地を試していたが、そのうち昔と変わらず頭の上で眠ってしまった。頼りなげだった小さな命が、試行錯誤してきた私からの試練を乗り越え、どっしり根を生やした生命体の蛙になっているのを感じた。顎の下で指を組み、お祈りをするような格好で寝る蛙の姿は、私の無知やいたらなさ全てを悟り許す愛情を示しているかのようだった。 それから暫くしてかえるさんは逝ってしまった。そして、権兵衛も。またチビも後を追うようにして逝った。1+2つの命が私から離れていった。多くのことを教えて貰い、いっぱい愛を見せて貰った3つの命だった。今年もかえるさん達の思い出とともにもうすぐ蛙の季節がやってくる。(4月吉日) |